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【社長対談】國枝 昂(よーじやグループ)× 村山 太一(ジムマネジメント)
2025.10.12
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家業を継ぐということ――創業家に生まれた二人の苦悩と挑戦
よーじや代表取締役社長 國枝 昂 × ジムマネジメント代表取締役社長 村山 太一
株式会社ジムマネジメントは、2025年5月20日に村山太一が代表取締役社長に就任して以来、新たなミッション・ビジョン・バリューの策定、コーポレートサイトおよびロゴの刷新など、リブランディングを目的とした取り組みを進めてきました。同年9月14日には創業53周年を迎え、長年培ってきた企業イメージを大切にしつつ、新たなブランド像の構築に挑む変革期にあります。
一方、創業100年以上の歴史を持つ京都発の老舗ブランドよーじや(代表取締役:國枝昂)も、近年大規模なリブランディングを実施し、大きな注目を集めました。象徴的なロゴとあぶらとり紙で広く知られる同ブランドですが、その背景には、家業を継ぐ者としての葛藤や、未来を切り拓くための挑戦がありました。
両社は業界や歴史の違いこそあれ、1989年生まれ(現在36歳)で、リブランディングに取り組んだ経営者という共通点から対談が実現しました。二人の経営承継の苦悩やブランド再構築の舞台裏について、じっくりと語っていただきました。
創業家としての苦悩
村山
代表ご就任後、最初に苦労されたのはどんなところでしょうか?
國枝社長
やはり「創業家」という立場に対する周囲の目線ですね。就任から6年が経っても「まだ30代だから」という理由で、私が実質的に経営していることを認めてもらえない。父の強みは人脈でしたが、私はそれを持っていない。そこが一番苦労しているところです。
村山
確かに、創業家として周囲からの期待は大きいですよね。
國枝社長
そうなんです。ただ、人脈を持っていないのは弱みでもあり強みでもある。私は「ゼロベースで意思決定をすること」を自分の生き方と経営の信念にしてきました。生まれながらにしてしがらみはありますが、「自分がやるべきかどうか」を考えることに信念を持って、「誰が言ったか」や「誰がこうしてきたから」みたいな意思決定をしないことを、逆に自分の強みにしています。
リブランディングの決断
村山
「脱・観光依存」という言葉を掲げられていますね。
國枝社長
はい。理由は、売上の季節性が顕著で、それは観光としてのブランド力の低下を意味していたからです。コロナ禍では売上が97%減少した月もありました。つまり、京都に来なければ手に取る機会のないブランドになってしまっていたのです。元々、よーじやは創業当初からずっとあぶらとり紙の会社だったわけではなく、地元に根ざした雑貨屋だったんです。それがあぶらとり紙ブームによって一気に全国化して、観光客が殺到して。それと引き換えに、地元からの愛は失ってしまったと感じています。
村山
なるほど。その歴史は知りませんでした。
國枝社長
あぶらとり紙は扱っていましたが主力ではなかった。“バズった”という表現が正しいかもしれません。
村山
そこからブランドを見直されたのですね。
國枝社長
そうです。「守るべきものは何か」をずっと考えていて。世間から見れば、よーじやといえば「あのロゴ」と「あぶらとり紙」だけど、そうではない。創業から受け継いでいるものはポリシー。時代ごとに新しいことに挑戦する快活さ。それこそが「よーじやらしさ」だと考えています。昔は真っ先に海外の化粧品を輸入し、アクセサリーコーナーや洋物のバッグも扱っていました。決して“和の伝統一辺倒”なブランドではなかったのです。そういうのが全部消えていってしまったので、原点に戻りたいんです。
10年くらい前から外国人観光客が増えて、いわゆるオーバーツーリズムに。京都はその象徴になってしまっています。その中心の一ブランドのような扱いをされてしまうのは、現状を変えなければ仕方のないことでした。だからこそ今は、「京都に来て買っていただく」というスタンスはやめました。札幌や大阪、羽田空港や成田空港にも店舗を展開し、化粧品や香水、ハンドクリームを中心に、おみやげとしてではなく日常に寄り添うライフスタイルブランドへの転換を進めています。
村山
今日もお店に入ったとき、あぶらとり紙の売り場が端のほうにあって驚きました。
國枝社長
そうです。発売したばかりのギンモクセイシリーズを一番手前に置いています。
京都のために頑張る企業でありたい
國枝社長
自分たちが儲かることを目指しても、その先に何があるのか。京都で150周年を目指す中で、「よーじやは京都のために頑張っている会社だよね」と言っていただくこと。それを目指すのが一番のモチベーションになっています。
ちなみに今は京都サンガF.C.のスポンサーをやっていますが、去年は38試合中37試合を現地観戦したくらい本気です。やりたいのは、京都の人が京都のチームを応援する、その人たちに“スポンサー企業として”よーじやに興味を持ってもらい、イメージを変えていくことです。よーじやが京都の人たちに親しみやすい存在になること。こういう積み重ねをしたいですね。
村山
バスケットボールもやっているんですか?
國枝社長
京都ハンナリーズというバスケットボールチームのスポンサーもやっています。30年先を見据えて、自分が京都に貢献するブランドを、と考えています。本当に京都を盛り上げたいですね。
批判と共感のはざまで
村山
リブランディングには、世間から反発もあったのではないですか。
國枝社長
もちろん批判もありました。ロゴを変更した際には、Yahoo!トピックスやSNSでも話題になりました。リブランディングについてのnoteは「最も話題になってるnote」に選ばれるほどでした。
村山
すごい。記事はどんな内容なんですか?
國枝社長
リブランディングをした理由、経営者としての思いなどです。読んで納得してくれた人も多かったです。「観光業なのに観光業じゃないところを目指す」「蕎麦屋じゃないのに十割蕎麦の店を出す(十割蕎麦専門店 10そば)」みたいな意外性。それをやるとメディアの反応が良いですね。
村山
社内からは反発はありませんでしたか。
國枝社長
社内では理解を得られています。変えることに関して意見はありますが、従業員の信頼は年々高まっていると思います。最近はリクルートを頑張っていて、あれだけ批判されたので就職を希望する学生も減ると思いきや、むしろ増えました。「面白い」と思う人が来てくれるんです。無難にやっていると、昔のイメージを持って応募して来られる方もいたので、目指すところをきちんと伝えるようにしています。
自分に合ったプロセスを取る
國枝社長
プロセスが正解なんじゃなくて「自分に合ったプロセス」を取ることが正解だと思っていて。経営者の正解は一つに決められがちなのが嫌なんですよ。だからパーティーでは絶対に輝けない自信があります。
村山
そんなことないですよ(笑)
國枝社長
「行くぞ!」っていうキャラでもないし、人見知りだし構えちゃいます。求められたら話しますけど。だから“ファースト・インプレッションで顔を売るゲーム”はやらない。自分で需要をどう作るかを考えて、需要がある人と仲良くする、それが戦略です。
リブランディングの実践知
國枝社長
御社も最近リブランディングを推進されていますよね。どのような経緯で取り組まれたのでしょうか?
村山
きっかけは、私の代表就任でした。長く続いてきた事業を次のステージに進めるには、社内外に対して“新しい姿”を示す必要があると考えました。
國枝社長
ロゴを刷新されたと伺いました。ロゴは会社の象徴ですが、変更には勇気がいりますよね。
村山
そうですね。ロゴは社員にとっても大切なものですから。これまでを否定するのではなく、未来に繋げるための進化だと考えています。
國枝社長
なるほど。社内をどう巻き込むかは難しいテーマです。特に若い世代に対してはどうアプローチされましたか?
村山
一方的に「こう変えます」と伝えるのではなく、“一緒に作る”ことを意識しました。例えば、社員が考えたアイデアを実際に商品やイベントに反映したり、ブログやSNSでの発信も若手が中心になって担ったり。リブランディングが単なる経営施策ではなく、“自分ごと”として感じてもらえるように工夫しています。
リブランディングの先にある未来
國枝社長
非常に参考になります。リブランディングを通じて御社が目指している姿を教えていただけますか。
村山
私たちが目指すのは「誰もが胸躍る明日を提供する会社」です。未来を明るくするとともに、未来を担う子どもたちの視野が広がるような活動にも取り組んでいきたい。単なる事業の成長ではなく、社員一人ひとりが誇りを持ち、地域やお客様に新しい価値を届けられる存在へ。リブランディングはそのための“通過点”だと考えています。
本対談は、リブランディングという経営施策を超えて、「企業の存在意義」を問い直す時間となりました。 伝統を受け継ぐことは、決して「変わらないこと」ではなく、「変わり続ける勇気」を持ち続けること。
創業100年を超えるよーじやと、53周年を迎えたジムマネジメント。 歴史も規模も異なりますが、共に見据えるのは“次の世代へ価値を繋ぐこと”です。
私たちはこれからも挑戦と共創を重ねながら、次の世代へ価値を繋ぐことで、社会に必要とされる企業であり続けることを目指してまいります。