blog
ブログ
踏み絵にしない理念、村に増える仲間 ―― “リゾートから村づくりへ”の承継
2026.03.31
ブログ
【対談】池の平ホテル&リゾーツ 代表取締役社長 矢島 義広 × ジムマネジメント 代表取締役 村山 太一

信州・白樺湖を中心とするビーナスライン高原エリア。ここは、いわゆる「古い風土や文化」が積み重なった土地ではない。むしろ、戦後の開拓と“人の手”で形づくられてきた、新しい歴史をもつ地域だという。
その土地で観光業を営む矢島社長は、会社の言葉を浸透させようとしない。
「理念は踏み絵ではなく、引力であり、よりどころであるべき」と言う。
一方、53年の歴史を持つIT企業を継承した村山は、自らの思いをどう言葉にするかに悩みながらも、「日本の未来を明るくしたい」という純粋な思いを胸に対話に臨んだ。
二人の対話は、経営という営みのさらに奥深く、その「根っこ」にあるものを静かに掘り当てていく。
開拓のルーツと、歴史を背負う覚悟
村山
白樺湖エリアの成り立ちについて伺いたいのですが、矢島さんは地域の再定義にかなり尽力されていますよね。この場所には、どのような歴史的な背景があるのでしょうか。
矢島社長
実はこの白樺湖周辺は、人が住み始めてからまだ70〜80年ほどしか経っていないんです。私の祖父が戦後、200〜300人の若者とこの山に入り、開拓を始めたのがすべてのスタートでした。当時は電気もガスもなく、道すらない厳しい環境。多くの人がその過酷さに耐え切れず山を下りる中、残った数家族がこの土地を守り続けました。県から支給された家畜の餌のうち半分は家畜に与え、残りの半分は農村と物々交換して自分たちの食料にするーー。そんな極限の生活をしながら守り抜いた場所なんです。
村山
まさに「ゼロからの開拓」ですね。そこからどうやって観光業に繋がっていったのですか?
矢島社長
ある時、登山客が「泊まらせてほしい」とやってきました。帰り際に置いていってくれた「宿泊代」が、この地で得た初めての現金収入だったそうです。そのお金で、病気だった子供たちの薬を買うことができ、命を繋ぐことができました。それが私たちの原体験であり、観光業のルーツなんです。
村山
御社で掲げられている経営方針・経営理念・経営信条といった価値観は、創業時のものをそのまま受け継いでいるのでしょうか。
矢島社長
もともと社内にあった言葉を、再定義しました。経営者として最も重要な役割は、「絶対に変えてはならないもの」と「絶えず変え続けなければならないもの」を明確に仕分けることだと思っています。
村山
その「仕分け」は、私にとっても最大のテーマです。私の場合は前代表から「自由に変えていい」とバトンを渡されましたが、53年の歴史を前にすると、何を変え、何を守るべきか、日々自問自答の連続です。
経営者の「わがまま」か、組織の「引力」か
矢島社長
変えることは、守ること以上にエネルギーと覚悟が必要ですよね。ただ、理念というものを「踏み絵」にしてはいけないと思うんです。社員一人ひとりにとっての「引力」や「心のよりどころ」でありたい。
村山
理念が「踏み絵」になる、というのはどういう感覚でしょうか。
矢島社長
理想を言えば、理念はより強い「引力」であってほしいし、みんなが同じ思いを持った集団でありたいという気持ちがあります。ただ、それを経営者が自分のわがままで押し出した瞬間に、会社は私物化されてしまう。どうしても経営者は変な権力を持ってしまっていますから、私のほうから「浸透させよう」と言った瞬間に、本意ではなくてもそれは『踏み絵』になってしまうんです。それが僕は、すごく嫌なんですよ。
村山
経営者の言葉が、意図せず「踏み絵」に変わってしまうのですね……。
矢島社長
ええ。だから、あくまでその言葉は僕の思いも沢山乗っているけれど、それ以上に「会社として大事にしている言葉」でありたい。そこに引っ張られてきた方々が参画したり、仕事を続けてくれたりしたら嬉しい。そうでなくても、何かの「よりどころ」になっていればいい。それくらいのつもりでやっています。だから「浸透させる」という概念が僕にはないんです。
村山
そのお話は、今の私にはかなり突き刺さります。私は「日本の未来を明るくしたい」という思いを掲げていますが、実は自分自身、それをどう伝えるかという点で言語化にずっと苦手意識があって。 既存の社員に伝えるときも、「言葉が足りないせいで、ただの自分のわがままや押し付けに聞こえていないか」と不安になることがよくあります。
矢島社長
手法としての「言語化」は、極論、誰か翻訳してくれる人が助けてくれるかもしれません。経営者がやるべきことは、無理に染めることではなく、その言葉を好きになってもらえるような「共感の材料」を提示し続けることだけだと思っています。
リゾートから「村づくり」へ:これからの景色
村山
その「共感の材料」としての理念の先に、矢島さんが見据えているこれからの景色を教えてください。
矢島社長
祖父の代が「レジャーからリゾートへ」と変革させたように、私は次のステップとして「リゾートから村づくりへ」と進めていきたいと考えています。観光地は、お客様には「非日常」の輝かしい場所ですが、住む人にとっては過疎化や衰退という「日常」の課題を抱える場所でもあります。
村山
その「日常」と「非日常」をどう融合させていくのでしょうか。
矢島社長
ここで生き、働く私たちのライフスタイルそのものが価値になる状態を作ることです。私たちがこの地を楽しみ、豊かに暮らしている姿に惹かれて、結果として「村民(=仲間)」が増えていく。そんな手触り感のあるコミュニティを作りたい。それが日本の旅のあり方を、消費するだけのものから、より本質的で豊かな時間へと変えていくと確信しています。

村山
「日本の未来を明るくしたい」という言葉は、たしかに私の強い思いですが、それを押し付けるのではなく、まずは私自身がその思いを信じ抜き、楽しんで体現していくこと。それが結果として、社員や関わる方々にとっての「引力」になればいいのだと。
矢島社長
その通りだと思います。村山さんの真ん中にある「どうしてもこうしたいんだ」という熱量だけは、誰にも代えられない。その純粋な思いは、新しく入ってくる若い世代や、共に歩む社員に必ず届きます。
村山
ありがとうございます。53年の歴史を持つジムマネジメントという「器」を大切にしながら、そこに新しい時代の熱量を注ぎ込む。関わる全員が希望を持ち、未来に希望を持ち、ワクワクしながら仕事ができる環境を作ることが、結果として「日本の未来を明るくする」ことにつながると信じています。今日のお話で、その思いがより強固なものになりました。
【編集後記】
今回の対談では、異なる領域で組織を率いる二人の経営者が、理念や組織、そして未来について率直に語り合いました。
「理念は踏み絵ではなく、引力であるべき」という言葉に象徴されるように、組織を動かすものは、強制された価値観ではなく、人が自然と惹かれていく“よりどころ”なのかもしれません。
白樺湖の開拓の歴史から生まれた観光の原点、そして「リゾートから村づくりへ」という新たな構想。
その一方で、53年の歴史を持つ企業を継承しながら、「日本の未来を明るくしたい」という思いをどのように形にしていくのか——。
それぞれの立場や背景は異なりながらも、二人の言葉の根底には、「人が集まり、希望を持てる場所をつくりたい」という共通の志が流れていました。
当社は、長い歴史の中で多くの方々に支えられながら歩みを続けてきました。
これからも、その歴史を大切に受け継ぎながら、新しい時代にふさわしい価値を生み出し、関わるすべての人が未来に希望を持てるような企業であり続けたいと考えています。
